プロローグ 1 アージ <3>


 私が生誕日と年齢を告げた少年は、十七才の青年へと成長した。あれからもう七年以上が経つ。私が彼に告げた年齢は、単に容姿を見て判断したに過ぎない。もしかすると、彼は間もなく転生を迎える時期に来ているのかもしれない。
 私も第三生児の三十五歳を数え、あと五年も生きられればという年齢だ。近頃は気の衰えも感じている。できることなら親代わりではないが、彼の次生への旅立ちを迷いの無いものとして、この教会で見届けてあげたいと思っていたが、その願いはとうとう叶えられなかった。

 七年経ったが、彼はなかなか許されないでいた。以前ほどではないにしても、彼への酷い中傷は、絶えず私の耳を突いていた。いや、故意に私に向けられていたと言うべきか。
 「神を信仰せず、他人の家を覗き、浮幽霊と暮らす」
 しかし、これらの行動には彼なりの理由があった。神を信仰しないのは、自分に父親も母親も与えてくれなかったからであり、他人の家を覗くのは、家の造りを調べるためだった。彼は次生で、いつか自分の家を建てるという夢を持っているのだ。もしかすると、家族とはどんなものなのか、一緒に覗いてたのかもしれない。ほら穴で浮幽霊と暮らすのも、そういった寂しさを紛らわすためなのだろう。
 ところが、私がいくら熱弁を振るってみても、村の大勢の人間にはそれが伝わらない。
 「なぜ、あんな奴に教会の出入りを許すのです?」
 中には、以前に彼がこの教会で生活していたことを持ち出す者までいた。
 「そうだ。たった十日ほどではあったが、彼はまだ幼い体でよく働き、教会やこの私に尽くしてくれた。皆も知っているはずだ。あの日以来、彼は盗みもやめた。勇気を持って変わろうとしたのだ」
 私の声は空で虚しく響くだけだった。相手を許すという神からの尊い教え。疫病が村から去り、豊かな生活を取り戻すと、その教えまでもが忘れ去られていった。許すという難しさに立ち向かおうとしない、ただ祈るだけの堕落した群衆を私はそこに見た。
 夕方、私は彼に山小屋の修繕を手伝ってもらう約束をしていた。日も沈まり掛けた頃、彼はトボトボとやって来た。
 「牧師様。俺の名前は捨て子なんだ! アージは捨て子なんですよ!」
 泣いていた。
 「おれは読んだんだ‥‥。聖書に書いてあった。村の奴らもそうだと言った。今頃分かったのかって‥‥。本当なんですか? 牧師様。「アージ」は聖書の言葉で捨て子の意味なんですか? おれはバカだ! そんなことも知らずに呼ばせていたなんて||!」
 自分のことは名前しか知らない。彼は私にそう言った。村の大人達が、幼い自分を指差しながら口々に「アージ」と呼ぶのを覚えていたからだ。だがそれは、その哀れな子どものために名前を付けたのでもなければ、その名を呼んだのでもない。ただ単に、親無し子という意味で「アージ」、つまり「捨て子」と呼んだに過ぎないのだ。彼はそれを自分の名前だと信じていた。
 「アージ。すまなかった。私もお前の名の意味を知っていて話さなかった」
 「その名を呼ばないでください!」
 彼はその場に蹲ると、夕闇の中、かすれた声で呟いた。
 「おれは、誰もおれの事を知らない場所へ行きたい」

 翌朝早く、彼は教会へ現れ、村を出ることを私に告げた。ボロボロの麻袋を背負い、真っ赤に目を腫らして、そのことを告げた。これはもう、彼自身が決めたことだった。
 「本当に行ってしまうのだな」
 彼は私から借りていた大工道具を返そうとしたが、私はそのまま彼に持たせた。
 「きっと次生で立派な家を建てるのだよ」
 彼は旅先で、間もなく転生を迎えるであろう。そして、その魂は初生の肉体を抜け出す。その時、この大工道具を持って行くことは当然できない。が、それでもいいと私は思った。希望や経験は魂に深く刻まれる。それから私の胸中に、せめてものという思いが働いた。
 「この者の行く先に、神の御加護を、そして||」
 私が祈りを捧げるべく頭に置いたその手を、彼は力いっぱいに振り払った。朝日がじっくりと村を色塗り始めるところだった。
 「おれは結局、最後まで、牧師様の言う神の教えを分かることはできなかった。いくら聖書を読めるようになっても、書いてあることはほとんど納得できなかったし、何度読んでも全部デタラメにしか思えなかった。だから今でも神様を信じてないし、おれは、神に感謝なんかしてない||」
 彼は闘うような眼差しで、天井のステンドグラスを見上げていた。
 「でも‥‥、そんな俺を受け入れてくれた。誰もおれを家に入れてくれなかったのに、おれが神様をいつまでも信じないと分かっていたのに、見捨てないで最後まで優しくしてくれた牧師様。おれはあなたに感謝してます」
 彼はゆっくりと歩き出した。そして教会の中を突っ切ると、裏口から静かに村を出て行った。後ろは振り返らなかった。

 「汝 神に与えられし三度の生を
  信じ 祈り 育めよ
  罪深き魂は許され 神の懐へ 喜び帰らん」

プロローグ 2 霊盲目へ つづく

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