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□何者か
私は皆さんとはだいぶ違う。間違いなく人間なのだが、姿形の話ではなく、何というか、自身の望む望まないに関わらず、起こりうる可能性、行動の可能範囲のようなもの。それが違う。そう思う。もし見下したように聞こえたのであれば気を悪くしないで欲しい。皆さんと同じ点ももちろんある。服装や髪型には拘りがあるし、煙草も吸う。手荷物があり、その中にはいつだって書きかけの記事がある。私も同じ人間なのだから。
いや、そんなことはどうでもいい。私が何者か。それはどうでもいいこと。重要なのは、私がこれまでに出会った多くの人達。有名、無名は関係ない。その人柄、生い立ち、残した言葉。何を体験し、何を成したかにあり、そして絶対に続きがあるということ。
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■八尋 耿
九才。夏休み最後の日。ぼくは読書感想文の宿題に困っていた。手元に手ごろな本が無く、何となく理解し易そうな内容で手に取ったのが、『宇宙のふしぎ』という当時の子ども向けの図鑑だった。
分かっていた。ちゃんと理解していた。読書感想文の題材に、図鑑を選ぶことのおかしさを。それでも、ぼくは妙に興奮し切っていたのだ。止まらなかった。大容量の絵と僅かな説明文を元に、只の図鑑を恰も大宇宙について語られた著書のように仕立て上げた。つまりぼくは、読書感想文を書く前に、その為の存在しない架空の本を創作するところから始めたのだ。
もちろん分かっていた。原稿用紙を埋める方が先だ。他にも終わっていない宿題は幾つもあった。さっさと終わらせて、次の宿題へ進む方が先決だ。でも止まらなかった。確かタイトルまで付けたと思う。今からぼくは、この本を読んで感想文を書くのだと自分に言い聞かせた。最終的には著者の名前、目次やページ数まで書き出して、もしもこの存在しない本の感想文が入選でもしたらどうしようとまで考えた。
結局、そんな事態にはならず、嘘を追及されるようなこともなかったのだけど、何だか寂しい気持ちにもなった。そんな覚えがある。自分が創作した架空の本の存在に触れられることを、ぼくはどこかで期待していたのだ。たとえ咎められるようなことになったとしても。
「偉い学者さんの論文みたい」
唯一の反応といえば、返却の際に担任の先生が評したこの一言。架空の著書を完成させる為、図鑑の説明文を書き落としたそのままの流れで原稿用紙に移ったぼくの文章は、どうしても大人びた。
もっと子どもらしい内容を望んでいた。先生のそんな一言だったんだと思う。でも当時のぼくは、これを純粋に誉め言葉として受け取った。
宇宙について論文を書こうと思ったのが丁度この頃。現在四十四歳のぼくは、今のところそれとは程遠い文章を書いている。
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【 宮真 ハル 】
「授賞式に来たんだ」
あの日、出版社のロビーで私はそう叫んだ。私というのは、紛れもなく私自身のことであり、他にはいない。名前を告げ、その後で要件を伝えた。日時も確認済みであり、担当者からの連絡通り、送付されたハガキも持参していた。場所も間違えていなかった。「確かにここです」受付の女性からもそう言われた。
アパートの自室に戻ったが、何かがおかしかった。鍵を開け、部屋の明かりをつけた瞬間、それは確実に私の視界に広がっていった。
部屋が散らかっていた。というよりも、片付ける前に戻っていたと言った方が正しい。前の日の晩、私は確かに部屋を片付けた。はっきりと覚えている。気持ちが高ぶって落ち着かなかったのだ。
ソファーの色が違う。茶色のソファー。ソファーの色は黒色だった。購入した時、ギリギリまで迷ったのだ。重ねて置いてある上着やシャツの中に、見覚えのないものも混じっていた。
確かに完成していた。私の処女作。「初生児」
まるで自分の知っている未来を必死で伝え歩くような感覚
この世界には
ハンドルフットを誰も知らなかったこと。
検索すると、フットハンドルという引き戸用の部品が最初に上がった。あとは作業用の台車の画像だったりだ。
私はとにかく書くしかなかった。
通り沿いの一つ裏手に部屋を借りた。自由な気のまま、この街の住人になって半年が過ぎた。以前住んでいた田舎町とは勝手が異なり、当初は戸惑い、時には疑いもしたが、それもだいぶ少なくなった。
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■八尋 耿
確かに変わっていたかもしれない。ぼくは地球についての論文が書きたかった。子供の頃からずっとだ。大人になるにつれて、その興味は宇宙にまで広がった。
でも、変わっていたというのはそこじゃない。たぶん論文よりも少し前。ぼくは自分という存在を、タイムトラベラーに見つけて欲しい。そう願う少年だった。そしてその人物に、自分が歴史的に重要な出来事に関わっていると言ってもらいたかった。今は記憶を無くしているだけで、実は遠い未来で生まれ、理由があって今の時代で暮らしている。迎えに来た。そう告げられることを夢見ていた。
自分から接触を試みたことも何度かあった。その内の一つ。
上下光沢のあるオレンジ色の服を着た若い女性が、自動販売機の前で首を傾げていた。
「今は1986年ですよ」
ぼくは暫く様子をうかがった後で、その女性に声を掛けた。いくら小学生の子供だったとはいえ、だいぶ怪しかったと思う。でも、当時のぼくからしたら、怪しいのは目の前の派手な格好をした彼女の方だった。服装もそうだったが、何よりもぼくの目を奪ったのが、彼女の髪の毛の色だった。彼女の短い髪の毛の色は濃いピンク色で、普段から想像を膨らませていたぼくの目には、それが凄く未来的に見えたのだ。
彼女はぼくにジュースをご馳走してくれた。機嫌良く笑いながら。それから自分が未来人などではないことを、ぼくの質問に答えながら説明してくれた。
服は自分でデザインしたもので、これとは別に色違いのものが二着あること。髪の毛はずっと染めたくて、朝から美容院に行ってきた帰りであること。ピンク色はギリギリまで迷ってそうしたこと。
結局、ピンク色の髪の毛だから未来人という訳ではなく、未来の世界では光沢のあるオレンジ色が流行のファッションという訳でもなかったのだ。
実際に、あの日からはだいぶ未来には進んだのだけれど、今のところぼくの元へは、未来人は現れてない。