「それではまた明日、待っているぞ」
おれが話すと、牧師様はそう言って下さった。次の日の朝、おれは自分のほら穴に戻ることを決めた。それでおれはここを出る訳を牧師様に話したのだ。
自分が生まれ育った家を、恥じないようにキレイにする。たとえほら穴でも、教会の庭や牧師様の部屋をそうしたように、自分の家を住みやすくしたい。いつか牧師様にも遊びに来て欲しいと言った。
「そうか。楽しみにしているぞ」
「でも、おれはまだ違覚えかけだったから、午前中はこれまでと同じように教会に通って勉強させて欲しいと頼んだのだ。
「これを持って行きなさい」
赤と黄色と青のステンドグラスだった。
洞穴に戻ると、火の消えた薪をを取り囲むように、浮幽霊達が群れていた。ここを出た時はたった三体だった浮幽霊が、数えると十五体に増えている。おれは牧師様に頂いたステンドグラスを見せてやった。それから近くの木の枝にぶら下げて、光が通るように飾った。
掃除もした。テーブルが欲しいと思った。木を切って作ればいい。牧師様に大工道具を借りよう。いつか自分の家を建てるのだ。でも今はとりあえず、教会の時みたいに食事を食べるテーブルが欲しい。おれは山で実を取って、川で魚を捕まえて焼いて食べた。皿が欲しいと思った。それから早く字を覚えようと思う。たとえ神様を信じてなくても、聖書を読むのは自由だと牧師様も言ったから。
字は本当だった。町の店の看板の文字もデタラメではなかった。ちゃんと読めた。『パン屋』も『くだもの』も『道具屋』もあった。
おれは教会に通って、読める字の方が増えてきた。神様は信じてないけど、牧師様は喜んでくれた。喜ばれるのは良い気分だった。
聖書の言葉では、これを『ヴィザエン』といって、喜びや、そういう行いの意味で使われてあった。その反対の意味が『ギリゾザエン』で、浮幽霊や悪行の意味だ。聖書の中でも、浮幽霊は悪者で嫌われていた。みんなそうだ。神様を信じる奴はみんな浮幽霊を嫌う。返り火で追い払う。
ヴィザエンは炎みたいなもので、燃やし続けるのは難しい。ギリゾザエンは水で、一度その水に濡れてしまうと、ヴィザエンの火をまた燃やすのは余計に難しくなる。湿ってしまうからだ。
「湿った木は燃えにくいだろう?」
牧師様が言った。
そうか。それで浮幽霊は火から逃げるのだな。
牧師様と会うまでのおれは、きっとギリゾザエンでずぶ濡れだったに違いない。今は乾かしている途中だ。もう盗みはしない。
おれはこうして少しずつではあったけど、聖書に書いてあることが分かってきた。
「牧師様。人間は三回生きられるのですか? それをトローライというのでしょう? おれは知らなかった」
牧師様はいつものように、おれの分の朝食を用意してくれていて、それを食べた後、おれはいつものように聖書を読んでいた。
「牧師様。牧師様は前におれのことを『ショセイジ』だと言いましたね。ショセイジは二十才が近づくと『テンセイ』して『ジセイ』になるのでしょう? ここに書いてある!」
おれは聖書の中のトローライのページを指差して言った。何度も読み返したのだ。間違いなかった。
「でも、ジセイになれるのは善人だけだ。そう書いてある。悪人はジセイになれずに浮幽霊になる! おれは||」
おれは怖くてたまらなかった。
「牧師様。おれは悪人ですか?」
牧師様は近づいて、おれの頭にそっと手を置いた。
「もっと早くに牧師様と会いたかった。そうすればトローライのことを知っていれば、盗みなんかしなかったし、村の奴を崖から突き落としたりしなかった。みんなは父や母が教えてくれたのでしょう?おれには誰も何も教えてくれなかった!」
足元の床で、太陽の光が当たったステンドグラスの赤と黄色と青が目立っていた。おれは浮幽霊と一緒に住んでるから浮幽霊のことは好きだけど、自分が浮幽霊になるのが嫌だ。また嫌われるのは嫌だ」
「アージ。浮幽霊になるのが怖いか?」
黄色に光った部分に床の黒い汚れの跡が照らされて消えていくように見えた。
「確かに昔のおまえは盗みを働き、暴力も振るった。村の者が言うように、救いようがなかったかもしれん。あのまま生きていれば、転生後、間違いなくおまえの次生は浮幽霊だっただろう。ところが今のおまえはどうだ? 私とここで暮らす間、字を覚え、今も日々学ぼうと努力しておる。相変わらず村のものには後ろ指を差されておるが、だからといってそれが一体何だというのだ。おまえその中でも必死に罪を償おうとしておるではないか。ここで暮した時、動物の世話も良くしてくれたな? 小さな生き物を大切にすることもできる。悪人とは程遠いと思わんか?」
外で犬が吠えていた。山羊とにわとりが鳴くのも聞こえた。
「アージ。おまえの初生はあと十年近くはあるのだよ。大事なのは今がどうか。これからどうなっていくか。やり直すということだ。前にも私は言ったはずだ。人間の価値は、間違いを犯した次の行動で決まると。神もそれを見ておられる。今のお前が浮幽霊になどなるものか」
しゃがんだ牧師様の大きな腕が、おれを包んでくれた。優しい顔もすぐ目の前にある。こうやってずっとギリゾザエンから守って欲しかった。おれには父も母もいないから。
「でも、おれは神様を信じてない‥‥」
「そんなことは関係ない。いくら神を信じ、祈りをささげる者であっても、それだけでは決して救われないのだ」
顔を見ると、牧師様は大粒の汗をかいておられた。きっと牧師様がこんなことを言ってはいけないのだ。
「アージ。私は第三生児だ。分かるか? トローライの三回生きられる内の、今が最後の三回目の人生だ。初生と第二生はウルネーブという、ここよりも北の寒い国で私は生まれ育った。だから今でもその国の言葉をほとんど話せる」
牧師様はおれに、何が言いたいか分かるかと訊いた。おれは首を振った。
「アージ。おまえもやはり人生は三度あるものだと考えるか?」
聖書にもそう書いてある。牧師様もそうだったと今言ったばかりだ。
「私は今になって、そうではないと感じている。転生は魂の成長過程の一部にしか過ぎないのではないか。いくら転生して全く別の環境で別人として生きても、心の中は同じ一人の人間なのだ。そう考えると、やはり人生は一度切りなのではないかと思うのだよ」
牧師様は聖書と違うことを言った。聖書には、人の魂と肉体の寿命は決まっていて、転生は魂の持つ奇跡。その二度の奇跡で生まれる三つの人生は、神の造られた絶対的な『トローライ』(魂の道筋)だと書いてある。
おれは浮幽霊ではなくて、次生になりたいだけだ。でも、そう願うということは、神様を信じることになるのか。おれはやっぱり神様を信じていないけど、牧師様は神様を信じている。それなのに牧師様は聖書と違うことを言った。
牧師様は今が第三生児だと言った。実際にトローライの通りになったはずの牧師様が言うのだから、そうなのかもしれない。前生の国の言葉を覚えているのも、魂が同じ一つのものだという証拠なのだ、きっと。
プロローグ 1 アージ <3>へ つづく
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